2019/02/12
陽炎 / A Man in a Room, Gambling - Gavin Bryars and Juan Muñoz




110フィルムを使って、ベビー・ホルガなどトイカメラで撮ったものをスクエアフレームにトリミング。撮影は2013年頃。
この、とにもかくにも圧倒的な低画質。まるでニエプスの始原の写真にカラーがついたような、そんな仕上がりだ。よく写るという方向へ向かう道筋とよく写らないという方向へ向かう道筋の、二方向に伸びる展望というか可能性があるのなら、よく写るほうの行き着く果てにあるもの、たとえばトーンの再現性だとか精密さだとか光の再現度だとか、そういうもののシンプルさに較べて、よく写らないほうの道筋にある分岐点は意図的無意識的イレギュラー、逸脱を初めとしてあらゆる偶然性を巻き込んでそれこそ無数にあるような気がする。この二方向に分かれる道筋のどちらが面白そうかというと、こんなの考えるまでも無く無数に分岐して混沌へとなだれ込んでいく、よく写らない方向だろう。ということで時折壊れかけの怪しいカメラを持って出かけることがやめられないこととなっている。とはいうものの安易に付加しがちな情緒とは遠く離れてオブジェそのものといった身も蓋もないような剥き出し感の横溢する解剖学的な写真も同じように好きなわけで、でもこれは一見まるで異なった志向のように見えて、写真的な中道志向から両極に振り切れているけれど方向が真逆なだけで本質はほとんど一緒なんじゃないかと思っている。解剖学的な写真もまたある一線を越えて詩的な幻想となる。フィルムという物質に定着させてはいるけれど最近写真の物質感のなさのようなものに物足りなさを覚え、プリントという物質に一度落とし込んで、その紙という物理的な存在になったものを加工して何か出来ないかなんて思ったりしている。手に触れる形となったもの、手によって変化させられるような物質的なもの、何だかそういうものに触れてみたいという気分。画家が物足りなくなって彫刻に手を染めるようなのと感覚的には近いかもしれないかな。我が嗜好はデータそのものといったデジタル写真とはますます逆方向を向きつつあるようだ。
A Man in a Room, Gambling | Gavin Bryars and Juan Muñoz
雑踏の中で拾い集めた意味にも届かないようなざわめきの交差のようなもので出来上がったノイズミュージック、頭の中でいつも低く騒いでいるような音とも云えない音、写真に合う音としてそんなのを選びたかったんだけど結局適当なのを思いつかず。で、ギャヴィン・ブライアーズのこんな曲を選んでみた。でも自分がこの写真を撮った時に頭の中に流れていたような音楽とはやっぱりちょっと違うかな。
スポンサーサイト
コメント
No title
なんだかレトロな雰囲気が出てて
あーーーーーーってなった
懐かしい風に写真撮るなんて憎いぞ^^
2019/02/12 15:46 by URL 編集
No title
タイトルにもピッタリだし。
これ夏に見たら暑苦しい感じだけど
冬に見ると暖かい感じがするわ。
2019/02/12 16:06 by ROUGE URL 編集
みゆきんさんへ
2019/02/12 23:37 by 薄荷グリーン URL 編集
ROUGEさんへ
陽炎って、文字自体も陽に炎なんて熱いものの組み合わせだし、夏のイメージになりそうですね。といっても実際の陽炎ってほとんど診たことがないんですよね。今年の夏は炎天下に陽炎を求めて彷徨うのも面白いかも。とんでもなく暑苦しいのが撮れたらつぎの冬まで温存しておきます。
2019/02/13 00:02 by 薄荷グリーン URL 編集
No title
もうすぐ平成が終わるんだもんね
昭和ったら遠い昔になるんだわん^^;
2019/02/13 14:36 by みゆきん URL 編集
No title
私が初めて見たの、京都だったよ(^^;
2019/02/13 15:18 by ROUGE URL 編集
みゆきんさんへ
2019/02/13 23:10 by 薄荷グリーン URL 編集
ROUGEさんへ
2019/02/13 23:15 by 薄荷グリーン URL 編集
No title
芸術は所詮人間が作った道楽。でも、最後はこの道楽が人間自身を救うような気がします。
2019/02/18 12:07 by すくなひこな URL 編集
すくなひこなさんへ
2019/02/19 17:22 by 薄荷グリーン URL 編集
No title
何と魅力的な作品ができましたね。
版画って、原版を刷り上げてみないとそれがどんな作品になるかわからない そんなワクワク感があるところにまた魅力を感じるんですが、写真の場合 デジカメのように、大方 撮影後の仕上がりが想像できるよりも、例えばトイカメラのように、歪み、色調のズレなど それらが偶然的に加わって その作品にしかないものができたりするところにまた魅力があったり 興味が尽きないですね。 面白いです。
2019/03/04 14:31 by ももPAPA URL 編集
ももPAPAさんへ
ちょっと詩的な幻想風味も加わってなかなか面白いでしょ。いろんなことを最後までコントロールできるのが創造的だという考え方もあると思うんだけど、何だか個人の感覚を超えたところで何かが顔を出すんじゃないかと思うところもあって、まぁこれはシュルレアリスト的な考え方だと思うんだけど、どちらかというとこういう偶然に任せる部分のほうが面白いという考え方に傾いて写真を撮ってる時が多いです。こういう偶然を呼び込むのに、今はあまり流行ってないようだけどトイカメラは手軽なんですよね。特にこの写真を撮ったカメラは実際に見ると本当にこれで写真が撮れるのっていうほどカメラ離れした外観の小さな部品のようなもので物凄い暴れ馬のようなカメラでした。カメラ以外の方法を持ち込むのも可能性が広がりそうな予感がします。版画の方法を持ち込むのもシルクスクリーンを使っていたウォーホルみたいに何だか面白そうです。もっともフィルムで撮ってる写真はある意味版画ではあるんだけど。
2019/03/04 23:59 by 薄荷グリーン URL 編集
No title
なるほど って思いました。
そうですね。 写真もフィルムが印画紙となってるわけだから 版画ですね。
写真って、写し撮る素材や方法によっていろいろな違ったものができるから・・ そう思うとなおのこと魅力的ですね。
2019/03/05 18:16 by ももPAPA URL 編集
ももPAPAさんへ
フィルム写真が版画だというのは云われて見るとなるほどと思うでしょ。これがデジタルとの最大の違いなのかもしれないなんて思うこともあります。おそらく版画的アプローチのすべてが写真にも可能なんじゃないかなぁ。フィルムを版型として使ったりあるいは写し取るほうの印画紙のほうへの物理的なアプローチを咥えてみたりすることで写真とはまた違う何かが出来るんじゃないかなんて思ったりします。フィルム使うほうが何だか伝統がちがちのようなイメージかもしれないけど、実際はフットワークも軽い自由さを持ち合わせてるかもしれないですよ。
2019/03/06 17:26 by 薄荷グリーン URL 編集