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機械式辻占師言行録Ⅱ / レベッカ 1986 早稲田大学 Live

四角い奔流





二本線の幽霊





闇の狸たち





工場天井





モンスターズ





浮かぶ光






壁にへばりついた赤い花
四条坊城(1)(3)
三条大宮(2)(4)(5)('7)
浜大津(6)
2016 / 04 (1)(2)(3)(4)(5)(7)
2017 / 09 (6)
Nikon Coolpix S9700
Fuji NaturaClassica (6)
Fuji Natura1600 (6)

先日新しい病院へ紹介状を持って出かけてきた。病院を変更することになったのは、今までかかっていた病院が入院患者中心の病院となって一般外来が縮小、その結果わたしが通っていた科が消滅したためだったんだけど、紹介状を書いてもらったおかげで新しい病院へはスムーズに移行できた。もっともこの新しい病院へ初めて行った時はどの医者が自分の厄介な病気に合ってるのかなんてさっぱり分からない状態だったのでこの日を選んだのも含めて何もかもが完全に行き当たりばったりだった。結局その日は当日外来担当で出てきていた医者から、潰瘍性大腸炎にとても詳しい先生がいるということで、そちらに院内紹介のような形を取ってもらうこととなった。結局二度手間になるの?おまけに紹介だけできっちり診察料も取られてなんだかなぁっていう感じも抱きつつ、最初だし詳しい医者に担当してもらえるならこの首尾でも今日はまぁいいかと納得する。そして今日その詳しい医者の診察の予約日だったので再び来院。初日から特定疾患の医療費助成の登録の手続きをしてるかと訊かれてしてないと答えるとそれならこちらで書類を作っておきましょうとなにやら展開が速い。特定疾患対応の大病院が希望の火を灯してくれる。大きな病院はある程度治療が進んで一段落すると後はかかりつけの医者のほうに返される形になるけれど、わたしの場合はかかりつけの病院が消滅した形となってるから、できるなら詳しい医者のいる設備の整ったここで治療を続けられればいいと思う。それにしても何ヶ月も下血が続いて絶対に貧血になると思っていたのが意外とそうでもなく、むしろ影響は靴のサイズが一つダウンしたとか、腕時計の留め穴が二つ内側になったとか、そういう方向で出てきてるようだ。あまり食べられないのと吸収とかの臓器の能力も落ちてきてるのかもしれない。ダイエットだとばかりに喜んでもいられないなぁ。線分収集家といい、この機械式辻占師といい、名づけてるのは自分自身に他ならないんだけど妙な肩書きが増えていく今日この頃、その割には肩書きほどには異様な写真も撮れていないというのはまぁご愛嬌というところか。言行録っていうのはアルフレッド・ジャリの著作「フォーストロール博士言行録」から拝借。ちょっと古風な語感が個人的には良かったりする。今回はこの前の記事と同様のタイトルをつけて趣旨は同じとしているものの、趣旨が同じように見える見せかけの下に写真を集めているだけであるのかもしれない。おそらくまったく異なる趣旨を予兆させるタイトルのもとにこの中の数枚を紛れ込ませたら、その別の趣旨に沿った外殻を纏った写真に変貌しているだろう。ところでこの前の写真、K階段の写真をみていて気づいたことがあって、わたしはこの階段をアプリオリに上へ登る階段として記事に書いている。でも上に上がるかどうかはこの写真の中には判断する要素は含まれておらず、これをみて上から下りてくる階段と判断する人もいるんだろうなと気づいてみると、何だか妙な気分になる。わたしが当たり前にみているものも、あらゆるレベルにおいて当たり前でもない可能性がある。わたしが見ている世界は同意されているようにみえる部分のみ共有化されているだけで、実は人の数だけまったく違う世界が並立され、その違いは永遠に共有されることも無く気づくこともない空間に仕舞いこまれてる。空間といえば、別にこれがわたしの大発見というわけでもなく、今までに様々な形で言われてきているものだろうと思うけど、空間そのものとしては存在しない。それはまさしく空ろな間であり、あるものとあるものの間の関係性において成立するものでしかない。つまりは言い換えるならオブジェが空間を生成する。オブジェは何らかの空間の中にあるのではなくて、空間はオブジェの属性であり付帯物なのだろう。どうしてこんなことを書いてるかといえば、写真はオブジェとともにそのオブジェが生成してる空間も写し取っていると思うから。佐内正史だったか雑誌スイッチだったと思うけど、とまるであやふやな記憶で書いてみると、どうして写真っぽい場所で写真を撮らないのかといったことを訊かれて、心底不思議そうに写真を撮るなら写真的じゃない場所しかないでしょと答えていた。この気分はわかる。「いわゆる写真」的なところは実は最も写真から遠いところだと。写すべきは周りの退屈で凡庸な日常であり、しかもそれを退屈で凡庸な日常の様相として捉えるのではなくて、日常に取り囲まれて身動きできなくなっている視線と存在を見晴らしのいい場所へと引き上げる契機とすること。シュルレアリスムの視覚表現なんかとは異なって、写真においてこのことは、見晴らしのいい場所はこれだと押し付けがましく強要するような非日常の対象ではなかなか実現できない。そんなもので視線は解放されないだろう。で、思いついて書き始めたこの話に繋がるかどうかはいまひとつ自信はないけど、先に書いたオブジェが空間を生成するという話。空間はあらかじめそこに存在しているオブジェのための入れ物なんかじゃない。オブジェが、世界の構成物が、日常がその場で生み出していくもっと動的なものだと思う。そしてその動的なものは日常を動的に、空ろな器の中に閉じたものではなくて関係性の場において未知なる何かへとわたしたちを導く可能性を秘めていて、写真はそういうものを顕現させることができる。おそらく優れた写真はそういったものを捉えるのに成功した写真なんじゃないかと思う。対象は風光明媚だとか異様だとか千載一遇の瞬間だとか特別なものではなく、ただの目の前に転がるゴミの一片や積み上げられた椅子であり、そういう非「いわゆる写真」的なものをそれが周囲に生み出す動的な空間共々掬い取ってくる。上手い言葉を思いつかないけれど、その空間には強度といったものがあって、ただのゴミの一片しか被写体になっていなくても、その強度さえあれば有無を言わせない説得力のようなものを身にまとって写真として立ち上がってくる。ゴミを写して唯のゴミの写真になるか問答無用の写真になるかの違いはこの生成される空間の強度の差にあるんじゃないかと思ったりする。わたしの写真はまるで強度不足だ。おそらく、矛盾したことのように見えるかもしれないけど、それはこの退屈で凡庸な日常への愛情のようなものが自分には本来的に欠けてるからなんじゃないかと思う。






モンスターズ ロゴ入り
ちょっと文字を入れてみた。普段写真に文字を入れてみるとかほとんどやらないんだけど、かっこつけた写真にはなるな。ちなみに入れた文字はリンチの廃工場写真集のタイトルだったりする。


レベッカ・・・1986 早稲田大学 Live

これは、今さらの如く人気があったのも当然といった感じがする。小さくて可愛らしいのがステージのそこいらじゅうで縦横無尽に弾けてるような勢いが魅力的だし、MCの予想外にちっともスタイリッシュじゃない、かっこつけない話し方も親近感があっていい。今わたしのヘアスタイルはシルバーベージュにカラーリングしたソバージュっぽい癖毛風縮れ毛パーマだし、このファッションをみて真似したくなって、古着のGジャンを買ってきた。アクセサリーのネックレスとかはパールビーズなんかを買ってきて似たようなのを自分で作れる。こういうのをジャラジャラつけるのは大好きだ。でもアクセサリーをあれやこれやと作ってるうちにGジャンの季節じゃなくなりそうだ。





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コメント

No title

青春とホラーの組み合わせが微妙にマッチしてて不思議アリスの世界って感じ
しかも昭和気分♪

みゆきんさんへ

こんばんは!
アリスものはわたしも大好き。この世界の裏側にでもありそうな世界を撮りたくてカメラを構えてるから、まさしく不思議の国の写真が撮れればいいなと思ってます。でも水先案内をしてくれそうなうさぎはいないんですよね。どこに不思議の国への穴が開いてるのかは自分の勘だけが便りです。
わたしの写真は若さに溢れてるのかな。本人はべつに若くもなんともないんだけどね。令和になって昭和は三代前になったけど、昭和の時代に三代前なんていうと明治だったりするから、そのうちわたしたちが明治生まれの人間に対して持っていたような古いイメージで昭和生まれの人間も見られるようになるのかな。そんなことをかんがえると、これもまた不思議の国の出来事のように思えます。

No title

専門のDrにかかれることになって
本当に良かったです。
別の病気だけど、暮れに間質性肺炎で入院した時
病棟は呼吸器で、部屋の他の人は呼吸器のDrだったけど
私は膠原病から来る間質性肺炎だったので
膠原病のDrが病棟まで来てくれて
お陰で、先に入院してた皆さんより重症だったのに
(危篤だったし、呼吸器のDr達は助からないと思ていたらしい)
一番最初に退院出来たのは
間質性肺炎に慣れているDrだったからなのよね。

レベッカ、一番良い時期に結婚、解散で勿体ないと思ったな~。
離婚して戻ってもヴォーカリストって
1日歌わないと3日前に戻るって位
身体そのものが楽器のようなものだからね。

ROUGEさんへ

こんにちは!
紹介状を書いてもらう時に病院二ヶ所にしぼってどちらにしようか選択したんだけど、結果的に最適な選択だったようです。それはもう詳しい医者のほうが絶対に良いわけで、院内紹介してくれた医者のほうも安心してみてもらえばいいって云ってくれてました。不治の病なんていうと物凄い響きになるけど、完治させる方法がまだ見つかっていない病なので、不安なところが少しでも減るほうがいいし、いろいろと期待してます。今いろんなことで病気以外にも結構ストレスかかってるんですよね。病院も特定疾患対応の病院のようで色々と特別な手続きも先導してやってもらえればこっちの精神的な負担も減るだろうと思ってます。ROUGEさんのその場合は完全に専門の医者に担当してもらった恩恵ですよね。わたしもそういう恩恵を受けてみたい。

レベッカのこの早稲田大学のライブ、伝説のライブなんだそうで、確かに惹きつけるものがあります。声もストレートに前へ突き抜けていくようによく出てるし型にはまったパフォーマンスじゃない肉体的な躍動感はこっちの情動まで浮き立たせようとするし。肉体を使うものは練習第一ですよね。ボーカルは特に年齢を重ねることでも発声に制限が出てくるだろうし、良い時期の期間はいやでも短くなってしまうところもあるんじゃないかと思います。その辺をカバーしていくのも日頃の訓練なのかもしれないので、中断させてしまうのはもったいないと思います。自分たちがどれだけ凄かったのか本人があまり分かっていなかったりして。このライブの勢いはもう本人たちにも出せないんじゃないかと思うと、こういう記録が残ってるのは本当に貴重だと思います。
それと、やっぱり人をひきつける魅力があるんですよね。計算で身につけられるようなものでもなさそうなので、こういうのは天性のものなのかな。写真でもそうだと思うんだけど、えらそうな御託を並べても結局根本のところで人をひきつける何かがないと駄目なんじゃないかと、その辺は自戒を込めて思ったりします。

No title

こんばんは
一枚目はちょっと今までにない感じで意外でした。テーマの『空間』をわざわざぶった切ってる感じがして。
階段は下りてくる階段かな。登っていくのは自分でしょ?降りてくるのは他人。それも不吉な奴。ヘルタースケルターみたいなw だからこの写真は中に入りたくない、外から見るだけ。これアプリオリじゃないね、怖い映画の観過ぎ。
物質がない空間ってあるのかな。物質が存在しないところに時間は存在するのかな。写真で空間を区切った何もない空間も物質と物質の間の部屋だから、0とnull、エネルギーの相関関係が距離を隔てて相互干渉するという意味では何もない部屋というのは宇宙には存在しないんだろうな。音楽は音と音の相対性で空間を感じる芸術で、同時に時間を共有するものだからアプリオリな感覚なのかな。でも、音痴って育った環境なんだって。

No title

今回はたまたま、南と北になったんだけどね(^^;

尾瀬は外人受けしないのかも?
今日の記事でサファリパークを載せたけど
そっちは沢山でした(^^;
多分、水芭蕉が見られないのガイドさんが知っていて
違うルートにしたのかもね。

すくなひこなさんへ

こんにちは!
最初のは写真的な纏まりをあまり考えずに撮ってるからそういう感じがしたのかもしれないです。普通真ん中に画面を分断するような直線なんか配置しないし。なんていうか制度化された視線みたいなことを考えていて、いい写真を撮るにはこうすれば良いなんていうのとは無縁なところで写真を成立させてみたいっていう欲求があります。他人が決めた良い構図とかどうでもいい、自分の眼でもっと見ようって。
下りてくる階段派ですね。上がっていくのが自分だとすればとりあえずは階段を自分に引き寄せて写真を撮ったということかな。わたしは他者の視線で写真を撮るってあまり考えたことがないし、でもそんな視線で写真撮れるならどんな写真が撮れるんだろうって思いました。ちなみに上っていくイメージは基本的に不吉じゃないですね。
空間に関しては思い付きを並べた程度で結論付けようも無いテーマだと思うので、おそらくこれからも単語や言い回しを変えて何度も似たようなことを書くことになりそうではあります。写真撮ってるとこういうことは興味を引くんですよね。少なくとも今は空間は確固としてそこにある空っぽの入れ物じゃないって云う感覚。もともとただのゴミを写した写真で、どうしてただのゴミの写真でしかないものと写真として成立している写真が生まれてくるのか、そのあたりの秘密が知りたくて、あれこれ考えてるうちの一つの切り口って云う感じかもしれないです。何もないものがあるって言うような発想の西洋人にはあまり無い感覚かも知れず、こういう空間の捉え方は東洋人っぽいかも。
音楽も不思議といえば不思議で、結局のところその瞬間に鳴ってる音しかないはずなのに、空間を見出したり、連続した旋律なんかを感じ取ったりするんですよね。音楽を聴きなれてるとそういうのはアプリオリな感覚のように見えるんだけど、音楽と縁遠い人の感覚ってちょっと信じられないところがあって、旋律のそれぞれの音が上下バラバラ、完全に狂ってるのにもかかわらず、これは全体にちょっと低いのかなと、その程度の違和感しか感じない人もいるって言う場面に出くわして、心底吃驚したことがありました。こういうのが後天的なら音楽のある環境にいさせてくれた親に感謝ですね。

No title

サファリパーク、静岡、那須、群馬と3つかな?
檻の中じゃなく自由にしてるから
伸び伸びしてるし、餌もあげられるの。

薄荷グリーンさんは雨女なの?
私もバイクに乗ってた頃は雨女だったの(^^;
お天気があまり関係なくなってから
晴れ女になって複雑な気分ですよ(^^;

ROUGEさんへ

こんにちは!
たまたまでもこういう旅行は体験として面白いと思いますよ。色々とタイプの違うところをあえて一緒に巡ってみるって、その落差に回り終えてみると疲れてるかもしれないけど、それは気分の悪い疲れ方じゃないと思います。
尾瀬って歌で知ってるだけで行ったことないんですよね。わたしは本当にインドアタイプの人間で出不精。でもここは他にはないちょっと非日常の場所だし行ってみる価値はありそうだと思います。外人さんも受けると思うんだけどなぁ。

ROUGEさんへ

こんばんは!
三ヶ所もあるんだ。関西はどうなんだろう?電車のつり広告なんかではまるで見ないんですよね。基本的に広告でみないから結構無縁の場所的な感じです。動物園は餌をやらないでくださいが基本だから、餌をあげられるというのがなんだか楽しそう。でもある種動物慣れしてないと、すこし怖そうでもあるかな。
雨が降るとか晴れるとか云うよりもどちらかというと不運というかタイミングが悪いタイプに近いんじゃないかな。この日は絶対に晴れて欲しいという日に限って天気が悪いのはデフォルトの状態なんだけど、かといって雨ばかり降るのかというと、この日は行きたくないと思ってる日に限って晴天になったりすると、そういうタイプです。写真機持って歩いてると天気とか大問題で、こういうタイプだからとにかくいつでも、晴れていても傘はバッグの中に入れたままにしてあります。

No title

コメレス見て調べてみたら姫路にあるみたいよ。
でも大きくて有名なのは関東が多いかもね。

私は運がいいのか悪いのか。
天気とかイベントとかに恵まれても
検査とかで、いつも最悪の病名に当たるしね(^^;

金木犀の剪定、私も先月したけど
しんどかったでしょう?
ウチは場所的に植木屋も入れない狭い通路なので
泣きそうになって切ったよ~

No title

更新、毎日はきついよね(^^;
元々、そんなに頻繁じゃないし
でも薔薇のシーズンは仕方ないかな~。
自分の記録でもあるから頑張るね~

ROUGEさんへ

こんばんは!
やっぱり関西だとあまり馴染みないってことになりますね。姫路は京都から日帰りでいけるけど、向こうでいられる時間はあまり無いと思うくらいは遠いし。ちょっとした旅行感覚で出かけるような場所かな。大阪にあればまだ行きやすいです。
その方向の運の悪さはできる限り避けたいところですよね。雨が降る不運とかはるかに可愛らしいほうだし。
枝きりは本当に辟易しました。隣に入り込んでる一部分を切っただけでもう止めた!って気分になって中断。この夏一杯かけてやる形になりそうです。金木犀って枝が伸びるのが早いような気がする。

ROUGEさんへ

こんばんは!
いろんなことが書いてあると賑やかで楽しいのは分かってるんですけどね。やっぱり毎日更新は相当なエネルギーを使うから。映画のレビューで毎日更新に近いことをやってた人には本当に感心したことがありました。なんだか試写会で映画みてその日のうちにレビューをアップしてるような感じだったから、自分はとてもじゃないけどこんなことは出来ないなぁって思ったことがあります。
肩に力を入れずに日々の記録として書くっていうのが長続きする秘訣かな。わたしはいろんな事情で話のもとになる写真をほとんど撮れないでいるからまた一月一回なんていう更新頻度になってるんだけど、これはもうちょっと増やしていきたいです。
ROUGEさん、楽しみにしてるけど、無理しないでくださいね。

No title

ありがとね。
なので昨日はサボっちゃった(^^;
今週も記事更新出来るかな~?って感じ。

薔薇は咲いていたいよね。
挿し木から育てた子多いので
何だか動物だと乳飲み子から育てた感じだもの。
病気って残酷だなぁって思うわ。
命の終わりが見えちゃうの、こういう時切ない

No title

門が無いから、ポストに掛けるタイプにしたのだけど
やっぱり魔除け置くと、
気持ちの問題で安心するよね(^^;

清明神社、かっこいい!
お札でもいいんじゃないかな?
せっかく京都にいるのだもの。

ROUGEさんへ

こんばんは!
無理してやるとなんだか本末転倒って感じもするし、ブログって誰に強制されてやってるわけでもないので、やっぱり楽しんで続けていくのが一番かと。
育ててるという感覚は強いんでしょうね。動物と同じくらいに植物にもそういう感覚を覚えるというのは、栽培とかしてない人にはあまりよく分からない感覚かもしれないけど。意志が通い合うような育て方ですよね。
生きているものは必ず終焉を向かえると、病気をするとこういう事実にも向き合うことになるし、でもこういうことに向き合うことで始めて目を向け生きていける生もあるんじゃないかとも思うので、どうせ身に降りかかってきたことで逃れられないなら、せめて少しでプラスの方向へと転化させられないものかと思います。

ROUGEさんへ

こんばんは!
門番ですよね。家のことをしっかりとガードしてくれる頼もしい存在。やっぱり何か置きたくなってきた。何しろそういう番をしてくれる存在とか、今まで一度たりとも置いたことなかったもの。考え出すと何を置こうか置いた時にどういう感じになるだろうとか想像するのはなかなか楽しそうです。
清明神社もしばらく行ってないんですよね。あそこは五芒星だったか、あの紋章もかっこいいです。お札もいいし何か紋章のかっこいいのでもあれば門に付けておくもの良さそうです。一条戻橋のたもとで式神を見つけられたらつれて帰るのに。
そういえば清明のお墓って嵐山にあるんですよ。それも街中にポツンと。写真とって歩いてた時に偶然見つけて、あまりの普通さにびっくりしたことがありました。

No title

五芒星、私も欲しいです(笑

主治医は最初の執刀医じゃないから
引継ぎで主治医になったから余計なんでしょうね。
昨日も最後に回されて
「あなたは時間かかるから」って(-。-;
変わりたいけど他の疾患との兼ね合いでダメなんですよね。

No title

ノッコの幼馴染と知り合いなんだけど
ノッコの幼少期は鼻水をいつもダラダラしてたって
小さい頃ってそんなもんだよね^^

No title

フォルム、写真だと他の人にはピンクに見えちゃうのかな?
本当は淡い紫なんだけど。

日陰に赤い薔薇、いいのだけど
赤い薔薇って実は気難しい薔薇が多いかも(^^;

ROUGEさんへ

こんばんは!
五芒星、車に貼るようなステッカーだとあるみたいだけど、ここはやっぱり立派な紋章のようなのがあればいいんじゃないかと。でも売ってないでしょうね。ペンダントのようなアクセサリーにしてあるものならあるんだけど。
やっぱり酷い言い草。最後に回されるものの気持ちなんかまるで考慮してないのが丸分かりじゃないですか。セカンドオピニオンもそうだけどシステムは基本的に他の医者に簡単に変われるようにはなってないみたいですね。私の今行ってる病院は普段の医者と専門病院の専門医の二人のかかりつけ医師を持ちましょうって云うキャンペーンやってるけど、こういうのはどうなのかな。

みゆきんさんへ

こんばんは!
鼻水たらしたノッコとか、それもいつもたらしてるとかまるで印象がそぐわないけど、それでもああいう風に大人になれるんですよね。
そういえば今の子供は鼻たらしたことかいるのかな。ほとんど見なくなったような気がするけど。

ROUGEさんへ

こんばんは!
紫には見えないかな。淡いっていうのがポイントとして目に入ってきます。
ふわふわと美味しそうな黄色いモッコウバラはやっぱり日の光の下が一番映えるみたいに、暗闇が結構似合うんじゃないかなとイメージ的に頭に浮かんだんですよね。秘めた情熱みたいでかっこいいじゃないですか。実際に栽培すると育てにくい環境そうではあるけど。

No title

ブレた写真にも限度があってね~(^^;
それが人物だとオバケになっちゃうからね。
私も彼女も撮るだろうと油断していて1枚だけだったら
彼女も私のに期待してたみたい(^^;
自撮りって難しいね~

会ってない友人、是非連絡とって下さい。
個人的には私も薄荷グリーンさんに会いたいんだけどね(^^;
(以前断わられちゃったけど、結構長い付き合いになったね)

No title

本当に疲れた~
でもシーズン中盤なんだよね(^^;
今日はダーリンが手伝ってくれました♪

そういえば電柱の黄色と黒の、
あれが巻いてある電柱は死亡事故があった所なんだよ~
実家の前の電柱が、事故があってね、
その後、すぐに付けられた。

そういう事もあって電柱を覆い隠したかったのかも。
ウチの電柱に突っ込む人はいないと思うけど(^^;

ROUGEさんへ

こんにちは!

一枚しかなかったのは本当に残念。自撮りとか、というか人を撮ること全部まるでやったことないんだけど、難しいんだ。ちょっとでも上手く行かないところがあったら、人物の写真の場合はやけに気になったりするからかな。プロの写真家とか人物に限らなくても同じ対象を何枚も撮って後からベストなものを選ぶようにしてる人が大半で、でもわたしは同じものをとるって、撮ってるその場ではあまり面白くなくてやらないです。そのせいであとでこっちからも撮っておけば良かったと思うことも頻繁にあります。
一応ネット上だけの人格でと考えてるから、なんて答えたんでしたっけ。いつのまにか本当に長いお付き合いになりましたよね。何が切っ掛けだったのかなぁ。今はもうあまり覚えてないです。

ROUGEさんへ

こんにちは!
ダーリンさんがついていてくれるから大丈夫だとは思うけど、本当に無理しないで。一度始めるとそれなりに気のすむ形にならないとやめるのがなんだか気持ちい悪いって云うタイプだったら、気がつけば思わないほど長時間やってたってこともありそうだし。
電柱に巻いてあるあれの正体は、そういうことなんだ。まぁ一度そういう事故があると、事故が起こりやすい可能性がある場所として注意を呼び起こすためのものなんでしょうね。街中を歩いてる時、これはついてる電柱、これはついてない電柱と、ちょっと気を引かれることもありそうです。今までまるで気にしてなかったからそれだけでも街の様子はちょっと風変わりに見えてくるかも。

No title

でしょ?(笑)
私も自宅前で死亡事故起こるまで知らなかったの。
それから気をつけて・・・
他でもそういう事故があると次に見たときは巻いてある。

夜の青、何となくわかる気がする(笑)

私は今日は朝から色々バタバタ。
沢山の人に会い過ぎた(^^;

No title

私は人が好きだから会いたいし、楽しいけど
やっぱりブログ友とインスタ友は違うね~
付き合いが浅いので誰が誰だか(^^;
普段、アイコンだけの付き合いなので
名前すら覚えられない(^^;
なので楽しいけど疲れたよ。

ROUGEさんへ

こんばんは!
何かちょっと不吉な場所ですね。道端においてある花束くらい特殊な雰囲気を纏ってると、気がついてみればもうそういう風にしか見えないです。
ミッドナイトブルーです。こういう言葉があるくらいだから、夜の色は青ってわりとみんなが感じてるんじゃないかなと思います。夜だからといって黒じゃないんですよね。

ROUGEさんへ

こんばんは!
アイコンだけの友達って言うのも何を取っ掛かりにして話をつなげて言ったらいいのか見失ってしまいそう。親密さを損なわずに楽しく一緒に過ごしてあまり気を使わせないような付き合い方なんていうのは、やろうと思えばかなり場馴れと言うか人馴れしてないとストレスになってしまいそうです。

No title

昨日は大変でした~
今日は今の時間まで片付けです。
もうこれが一番辛いです。
家じゅう切薔薇だらけ。

No title

それがねぇ~?
体調とか思いやるとか全くない人なのよ。
ちょっと頭おかしいので仕方ないのだけど
動物的に縄張り意識が凄くて
花弁一枚許されないの

ROUGEさんへ

こんばんは!
お疲れ様です。でも全部片付けて一段落したらホッとするでしょ。
好きなことでもその中には面倒なことも含まれてると、これはどんなものでも一緒じゃないかな。

鍵コメさんへ

こんばんは!
もうなんだか夏の気分になりつつあります。体的には暑いのはやっぱり苦手。薄着で肩が凝らないのだけはいいんだけど。厄介な病気を抱え込んでしまって、体調管理にはことのほか気をつけなければならないって思ってます。鍵コメさんも早くも夏の気配濃厚になってる暑さには気をつけてくださいね。

ROUGEさんへ

こんばんは!
わぁ、かなり対応に苦慮しなければならない、厄介な人なんだ。うるさい人だなぁって思っても敬遠することができたら話は随分と簡単になりそうだけど、そういうわけにもいかないとなると、その場その場できっちりと対応しなければならなくなって気苦労もたえないんじゃないかと思います。近所問題は簡単に引越しなんかできないから大きな問題になると困るし、悩ましい問題ですよね。

No title

怪我しちゃったので、これでゴメンね

ROUGEさんへ

こんばんは!
怪我はどんなものでも嫌だけど、特に手の怪我はさらに生活が物凄く不便になるというおまけまでついてくるから最悪。早く痛みが引くと良いですね。

No title

そういえば予定を書き込むカレンダー見ていて
薄荷グリーンさんのBDに
「おめでとう」って言うの忘れてた。
ごめんね。

でも5月中に言えて良かった。

「HAPPY BIRTHDAY!
素敵な一年になりますように。」

ROUGEさんへ

こんばんは!
覚えていてもらえましたか。そうなんです、今月の15日がわたしの誕生日。京都では葵祭の日でこのお祭りとともに一つ歳を重ねます。なんだか身の回りのことで振り回され、自分を取り巻く事象は勝手に変転していくのに自分がやろうとしてることはその場で足踏みしてちっとも動けないでいるような妙な感じの時間の過ごし方をしてます。
今年はそうだなぁ、やっぱり病気が小康状態になって欲しいかな。これが荒れ騒いでると、その上に乗っかってる生活全般がことごとく滞ってしまうから、やっぱりこれが一番。そしてこの一年ほどは写真がほとんど撮れなくなってしまってるので、また街中を不思議の国を求めてカメラ片手に歩き回ってみたいです。
どうもありがとう。

No title

こんばんわ♪

どうやら 過去記事からの文脈を辿っていかないと薄荷グリーンさんの言わんとされてるところがわからないかも・・とは思いながらレスさせて頂きました。

オブジェが空間を生成する この観点というか解釈は自分もまさしくそうだ と合点しながら読み進めさせて頂きました。

空間はオブジェの属性であり付帯物

自分が先日 記事でピックアップした "空に落ちていく感覚" もグリーンさんがコメントの中で言われてた、切り取った写真の中の空の位置によって見え方が変わってくる
なるほど って共感を通り越して まさにそうだ って思ったんですよね。

レベッカのこの動画は86年に撮影されたもののようですが、86年っていえば、隣県 広島で行われた "プリズム" のLIVEを生観戦した頃と重なります。
弾けるような躍動感あるルズムとVocal 今こうして聴いてもストレートに感覚を刺激されて心地いいです。 

ももPAPAさんへ

こんにちは!
結構その時その時の思いつきで書いてるから、過去に書いたものから辿っても矛盾が一杯見つかるだけでかえって混乱するかも。首尾一貫した考えが写真に対してあるわけでもなくて、かなり多面的。自分がその一つの局面に絞って写真を撮ってるとも思っておらず、写真そのものがある種得体の知れないものとしていつも目の前にあるっていう感じかな。その正体を見極めたくてあれこれ書いてるんだけど、それは多面的な面のひとつをうまく言い表せるかどうかという思考で、多面的なものを一つにまとめようなんていう方向へはあまり興味がむいていないようです。
空間がオブジェの静的な入れ物じゃないっていう考え方は結構好きなんですよね。それだけで、空気のようにそこにあって当然で目立ちもしなかった空間って云う代物がダイナミズムを身に纏い始めるというか、オブジェによって動的、流動的なものへと変貌していくというか、そういう風に感じていると同じオブジェでも変化自在な写真が撮れるような気がしてなんだかワクワクしてきます。
あの空の位置はわたしたちが空は当然視界の上半分を占めているというアプリオリに持っていた感覚を揺さぶってくるので、あれだけのことでも混乱してしまうんですよね。言ってみればシンプルなこういうことだけでも世界の見え方は気持ち悪くなるほどに変わってくると、そういうのが面白かったです。
86年って今から30年以上前。映像で見てるとそんなに時間が経ったようには見えないんだけど、それでもこの年に生まれた子供も30台になってるわけで、そんなことを思ってると感慨深いというかな。弾けるノッコももう時間の彼方に消えてしまってるんだけど、そんな時間の壁を通り抜けて届いてくる音楽の、ある種奇跡的な瞬間を目の当たりにしてるっていう感じがしますね。

No title

なるほどですね。

薄荷グリーンさんの、今現在の 写真ってものの捉え方がすごくよくわかって読ませて頂いてて心地いいです。

ちょっと話が横道にそれるかもしれませんが・・

ドラマーのジェフ・ポーカロが彼のドラム教則用DVDの中で、ハイハットを叩くとき、ただ単に タタタタ っとリズムを刻むより、強弱をつけて叩くと抑揚が出てグルーヴが生まれる。 なので小節内での"ダイナミクス"に気を付けてプレイするとよい みたいなことを言ってて、
ダイナミズム と ダイナミクス は同じ ダイナミックから派生した言葉なんだと改めて気付かされました。

https://www.youtube.com/watch?v=cGa7ofCpUAk

平坦な音に抑揚(音の強弱)をつけることによって 変化のない音から、内なる魂を刺激するエネルギーを纏った音へと変化する

こう考えると、まさに写真と音楽は 相通じるところが多分にあるって感じます。

ももPAPAさんへ

こんばんは!
わたしはその話でビートルズのドラマー交代劇を連想しました。ピート・ベストになくてリンゴ・スターにあったものの、この違い。単純にリズムを刻むことで成り立つ楽器だからそういうグルーブ感の有る無しが、ダイナミックな味付けの有る無しが際立ってくるんじゃないかな。おそらく微妙な違いだと思うんだけど、ある種天性的な感覚でそういう躍動感をおびき寄せられるプレーヤーがいるんですよね。練習でも身につけることが出来るんだろうけど、天性的にそういうものを持ってる相手にはやっぱりどこかかなわないところもありそうで、そういうプレーヤーはラテンの本場のパーカッショニストなんかによくいそうです。
写真にもそういう秘密が隠されていそうで、ただの椅子を撮った写真が単純なオブジェを写しながらもそれ以外の何かを纏うようなことがあって、これが本当に不思議です。ただの椅子の写真の何が際立つ印象となって写真の中に収まるようになってるのか、この辺の秘密を知りたいといつも思って街を眺めてます。

No title

なるほど・・
ドラムス  パーカッション そしてベースもですが 楽曲のビートを刻みながら 同時にグルーヴを生み出すパーツに限定しても、グルーヴ感っていうのは多分にそのプレイヤーの感覚的な部分によるところが大きいですよね。
それにリズム布陣以外の、キーボードやギター そしてVocalなどが触発され、それぞれの持つグルーヴ感がひとつになって昇華し、素晴らしいインプロビゼーションになるっていうのは 例えばジャズやフュージョンユニットのセッションなんかで見られますね。

ももPAPAさんへ

こんばんは!
絶対に体が持ってるグルーブ感ってありますよね。同じ曲を演奏しても人によって踊りだしたくなるような曲になったり、そうでもなかったりというのは結構あると思います。これはもう演奏家の体が持ってるグルーブ感の違いとしか言いようがないんじゃないかな。そういうのはリズム楽器でいちばん分かりやすい形で出てくるのかもしれないけど、どの楽器もそういう要素は必ず備わってると思ってます。個人的にはだからといって楽譜をまるっきり無視して逸脱していくような演奏はあまり好きじゃなくて、たとえばジャズボーカルなんかでフェイクしまくるようなのは苦手だったりはするんだけど。
またラテンのパーカッションで物凄く機械的な正確さで演奏してるのにそのことが逆に催眠的なグルーブ感を生み出してるという面白い演奏もあったりして、このリズムのノリというか音楽のノリといったものはなかなか一筋縄ではいかないところもありそうです。
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