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ギタリストの犬、溶ける星の日。 機械式辻占師言行録Ⅴ

真昼の人影





抜け屋根壁





銀の構成





鳥かご





編目の劇場






赤い破壊

高の原 (1)
2013 / 06 伏見 (2)
2016 / 03 丹波口 (3)
2015 / 10 伏見 (4)

2017 / 01 長池 (6)
CONTAX T3 (1) Olympus Pen S 3.5 (2) Fuji Natura Claassica (6)
Kodak SuperGold 400 (2)(4)


エクスクラメーションマークとクエスチョンマーク。要するに「!」と「?」のことだけど、これは猫の尻尾を後ろから見たところだという。「・」がお尻の穴で上の棒マークが感情を表現してる尻尾本体だ。そう云われると吃驚した時のピンと立った尻尾はまさにそんな感じだ。と、これは最近本を読んでいて出くわしたことだったんだけど、真偽のほうは分からない。まるででたらめだったとしても聞いた人を納得させる妙な説得力があって、このマークを見て猫の尻尾を連想した人の発想力はなかなか面白いと思う。タイトルは読み間違いと目にした単語の偶然的な組み合わせによる。「ギタリストの夫」という一文の、夫が犬とみえてのこのフレーズなんだけど、金井美恵子の小説のタイトルにも「カストロの尻」というのがあった。これは「カストロの尼」というフレーズを読み間違えてしまった結果できたタイトルらしいんだけど、この破壊力抜群のイメージ喚起力に較べると我が「ギタリストの犬」はなんとも大人しすぎるというか、こういう読み間違いにしてもセンスの差が出てくるんだろうと、カストロの尻を捕らえた感性にちょっとした妬みさえも覚えるなぁ。破壊力抜群に読み間違えてみたい。そして当然のことながら、もちろん今回の写真もタイトルとは何の関係もない。写真は相も変わらず体調の加減と暑さと身の回りの主に医療関連の鬱陶しい雑事が時間的にも体力的にも気分的にも障壁となり続けていて、撮りに出かけること自体がままならなくなっている。この前現像に出した半年かけて撮った2本のフィルムはブローニーのほうは終盤の数枚が光線引きしてしまっていて、でもその光線引きもちっともかっこいい結果にはならないような光の漏れ具合の写真だったし、写ルンですのほうも全体にパッとしなかった。これを現像に出した後コンタックスT3にフィルムを入れてるんだけど、撮りに出かけられないものだからまだ3枚くらいしか消費していない。まず出かけられるような状態へと体のコンディションをもっていきたいところで、写真への関心を立て直すのはその後だろう。買い置きのフィルムは消費期限を過ぎてそのまま冷蔵庫の中で居座ったようになっていて、消費量の少なさもあって気がつけばこのところフィルム売り場なんてまるで足が向いていなかった。昨日久しぶりにヨドバシカメラに出かけてためしにフィルム売り場を見てみたら、さらに売り場は縮小されてなんというか見る影もない。売ってないわけでもなかったから手には入るんだけど一杯あるフィルムから気に入ったのや使ったことがないものを選択してどうのこうのというような楽しみは既になくなっている。大手のフジがそんな状態になってる中で、大手が牛耳っていた棚が空いたために、いくつかヨーロッパ系のフィルムが店頭に出てきてるのが小さな光を放っているようだった。廃版が常套句のこの世界にコダックのリバーサルが復活していたのも、これも大いなる希望だろう。そういえば先日マップカメラからのメールにフィルムカメラ、レンズの人気再燃につき買い取り価格再考なんていうのが入ってた。これもささやかな光の気配なのか。




薔薇の殺意〜虚無への供物(1)



昔NHKで放映したテレビドラマ版「虚無への供物」がYoutubeにあった。これ結構早く消されそうだ。ドラマの出来は反世界だとかそういう妖しい雰囲気はあまり上手く表現できてなくて、それほどでもなかったような記憶がある。さらに氷沼三兄弟を筆頭にすべてのキャラクターが具体的な姿を与えられて、それがまた個人的には全然そぐわなかった。全3話で完結。

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コメント

No title

こんにちわ♪

ふと目に入った看板とか タイトルの文字列を読み違えて、それが妙に自分の中で出来上がった言葉となって残っている ってこと 自分もいくつかあります。

具体的にそれがどんな言葉だったか 今正確には覚えてないんですが、・・あ ひとつだけ思い出してみると

小学校2年生の頃

"セロ弾きのゴーシュ" っていう本のタイトルの セ を漢字の七 ロ を漢字の口 に読み違えたままずっといました。

なので読みが しちくちひきのゴーシュってなるわけですが、ただそう読むとまた意味不明で・・

でも、なぜか 理由は定かでないんですが、妙に自分の中でその読みだけが残ってて  最初自分の中でついて出て来た言葉

って強烈に残ってるもんなんだ って 記事読ませて頂いて感じました。

! と ? 猫のしっぽを表現したものって なるほど 面白いって思い」ました^^

No title

うわーっ
ストーリーが出来る
何故か八墓村を思い出した
私の頭ってどうなってるのかな( *´艸`)

No title

タイトル見て写真見て??だったけど
そういう事なんですね。

でも!や?が猫なんて思うと
何だか愛しく思えてしまう。
猫が甘える時にミーンと立てた尻尾とか
思い出すと・・・

関東は長雨・肌寒い日が終わったと思ったら
今度は猛暑。
午前中に猫にご飯あげて蚊取り線香焚くだけで
もう汗だくです。
うち、日陰なのに(^^;

ギタリストの犬、犬がギタリストなのか、
単なるミュージシャンの飼い犬なのかとか
くだらないことを考えてしまうわ。

2枚目の写真はコントラストがはっきりしていて
真夏の強い日差しを思わせる。
今年は猛暑が10月まで続くらしいよ。
まさに「溶ける星」

ももPAPAさんへ

こんにちは!
まぁこのところのタイトルに関してはなかなか上手く思い浮かばないって云うこともあって、苦肉の策という側面もわずかにあります。大体もとの写真からして何か統一的な主題にまとめられるような撮り方をしていないし。
でも基本的にはこういう思い違いとか面白いと思うほうで、偶然性とかを積極的に導入しようと画策するのはわたしの感覚の結構中核に居座っているような感じです。いくえにも読み替えて世界の表層を組み違えていく、通り一遍の出来合いのものの見方では絶対に出現しなかった奇妙な世界が目の前に現れるかもしれない、そんなことを期待しながら曖昧と混沌が渦巻く読み替え世界に飛び込んでみるのも一興かもしれません。
しちくちひきのゴーシュって凄いですね。意味不明の度合いがちょっと度外れていて面白いなぁ。でもその意味不明さをそのものとして受け止めていた感覚もなんだか納得できるというか、しちくちを弾きながらねじくれたゴーシュが何か問題でも?とでも言い放って目の前にいるようで、ある種子供の時の感覚の許容量の広さを体現してるようにもみえますね。
猫のしっぽは本当の由来なのかわからないですよ。妙に説得力があるんだけど。

みゆきんさんへ

こんにちは!
八つ墓村はちょっと意外な連想かな。コントラストの強い小屋風の家とかモノクロの写真からの連想?最後の破壊の写真もある種劇的な印象でもあるしその辺が絡んで八つ墓村に結実していったということなんだと予想しました。
八つ墓村は残りのページ数が少なくなっていくことを悲しみながら読んだ、数少ない本の一冊でした。本当に面白かった。理詰めな部分とホラー部分の調和が上手く取れている上に物語の結構な部分を占める洞窟内のサスペンス的な盛り上げ方が極めて上手くて、一気読み必至の本だったと思います。映画は渥美金田一のが最後をホラーに返してしまったのが、この物語の意義を本質的に理解していないとがっかりしたほうで、市川監督にとって欲しかったです。

ROUGEさんへ

こんにちは!
最近ここで出してる写真は以前に撮って出さなかったものばかり、現時点で写真を撮りに出かけらずに今の写真数が激減してしまってる結果なんだけど、そうやって過去から拾い集めてるものだからなおのことある種纏めるようなタイトルを思いつかなくなって、こういうことをやってます。まぁ根っこがシュルレアリストだからやり始めると結構ノリノリでやってたりはするんだけど。
ギタリストの犬はイメージとしてはギターを弾いている犬があったんだけど、ギタリストの飼ってる犬という取り方もできますね。ギターを弾く犬がシュールなのに反してこっちは以前路上演奏家が猫とであって運が開けていくって言う実話ベースの映画があったけど、そんなヒューマンドラマの気配がありそうな感じになるのかな。カストロの尻と較べると、このヒューマンドラマっぽい部分がくっついてるせいで破壊的な過激さまでは持っていけてない結果になってるんじゃないかと思います。ギターを弾く犬なら犬のギタリストとするほうがいいんだけど、ここで意図的な手を加えるとこういうのはまず駄目になってしまうから、まぁ結果としてはこんなものなんじゃないかと思います。
猫のしっぽは本当にそうなのかどうかはわたしにも分からないんだけど、そういう風に説明されると妙に納得してしまうでしょ。これからこのマークを見ると猫のお尻を連想するようになりますよ。
こっちもいきなりの35度レベルの気温になって、しかも湿度も異様に高いです。大体祇園祭の頃が一番暑いなんていわれてるんだけど、今年は祇園祭の時よりもさらに暑いんじゃないかな。こんな暑さになるともうついていけないんじゃないかと絶望的な気分になります。ちょうど大腸内視鏡の検査をやったところで、鎮静剤を打たれた余波が残る帰り道、家までたどり着けるか本気で心配になってきてました。
でもコントラストが効いた写真を撮るには絶好に季節なんですよね。悪いことにわたしはコントラストが効いたイメージってかなり好きだと来てるから、嫌だ嫌だとばかりも云ってられなくて、今のところまるで体がついていってくれないけど、体調が持ち直せば出かけたいなぁと思う気分は一応まだ体のどこかには残っていたりします。
なにせこの前サングラスなんか買ったりしてるし。このサングラスは次の記事でお披露目してみよう。

No title

お体の調子は今もまだまだな感じなんですか?

体調が悪いと写真ってなかなか撮りにいきたいって気持ちにはなれませんよね。基本的に外に撮りにいく場合は元気でないと行く気になりませんし。

3枚目はすごい色になってますね。これは一体なんの写真なんでしょうか?

いよいよ今年もお盆がやってきますねえ♪

お盆の雰囲気って結構好きだったりします^^

えにぜんさんへ

こんにちは!
基本的に治しようのない病気なので、病気の気配が一切消えて凄い調子いいって言うところまではいかないみたいです。お腹の中に何時爆発するか分からない爆弾を抱えてるようなもので、写真撮りに出かけるのはやっぱりまだ難しいかなぁ。気分が良くて出かけられたとしても、写真撮れるほどには集中できないと思います。で、損な状態でたまに写真を撮ったりするんだけど、こういうからだの状態が写真に現れるかというと特にそんなこともないというか、そういうのが写真に現れたほうが面白いところもあるのに、なんだか集中できないのだけがよく分かるつまらない写真ばかりが出来上がることになってます。
三枚目のはアルミ箔で覆われた荷物が色テープで留めてあったのを撮ってみた写真です。アルミ箔が思いのほか強烈に派手で、赤いテープも自己主張が一杯。でもアルミの中に何が入っていたのかは今ももちろん分かりません。街中には結構変なものが転がってます。
お盆はわたしは子供の頃の地蔵盆の雰囲気が好きでした。これ関西だけなのかな、子供のためのお盆の行事なんだけど、わたしが子供のころに住んでいた地区はことのほか派手に行事をやってました。この世界と彼方の世界が交じり合うような不思議な時期ですよね。これがまた夏以外にはおそらくまったく合わないんじゃないかというくらい、夏の雰囲気にぴったりというのも面白いです。
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