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知覚の地図Ⅴ / Heinz Burt

回転残像人間痕跡





骨






色彩の告知





網花





団地池
2020 / 01
Last Camera / Lomography Color Negative 400




      でもそうじゃなくて、一人の人間が死ぬことでその人がその中にいて見続けていた世界そのものが消滅する。その人にとっての世界はその人が死んだ後も存続するようなものじゃなくて、その人の死と同時に世界そのものが跡形もなく消え去ってしまうということ。要するに永続する世界の中の一人の死というんじゃなくて一人の死による一つの世界の全死となる。そこではその人が見ていた、その人にとってのわたしも同時に死ぬ。わたしは他者が死ぬことにおいて不断にわたしの死を経験していくことになるだろう。死んでしまった本人にとっては自分がそこにいた世界も同時に死滅してしまうわけだから、ある意味子気味いい。後腐れがないし、あれを残しておいて誰かにみられたら恥ずかしいなんていうことを憂慮する必要もまるでなくなる。
四十九日を過ぎてわたし自身が巨大な空虚になってしまったような感覚は今も続いている。生きているものはおそらくほとんどが最後はああいう風になってしまうんだとか、自分の病気のことだとか、これから自分はどう生活していけばいいんだろうとか、父が認知症で崩壊していくのを見続ける苦痛からは解放されて一息つけるようになった反面、そういう寄る辺ない思いに捉われて考え込むことが多くなり、意図的に自分を奮い起こさないと何もする気が起きないし、なによりもなんだか一日中眠い。人間の形をした暗い穴のようなものにでもなった気分だ。でもそういう気分でい続けることも現実は許してくれなさそうで、時は着実に進み、今もいろいろと煩雑な手続きが行列をなして早く終えてしまいなよと云わんばかりに待ち構えている。現時点でまず法務局に行かなければならない手続きがあるんだけど、行ってみれば受付のお姉さんが懇切丁寧に案内してくれるとは分かっていても、何か物々しそうなイメージで腰が引ける。また死人の確定申告もしなければならないなんてここにきて始めて知った。

写真はラストカメラで撮ったもの。今年になってから病院の面会に使っていた時間がすっぽりと空いてしまった分を、一緒に面会に行っていた姉の家に遊びに行くことで埋めていて、その折に撮っていた写真だ。木幡の姉の家の周囲で撮る程度ならば、今の体調でもかろうじて可能だ。ラストカメラは自分で組み立てるプラモデルカメラの一種だけど、ひとコマ巻き上げると自動でシャッターチャージもできるといった手の込んだ機構も一通り揃っていて、出来上がったカメラは自作のものとは思えないほど本格的なものになる。その分組み立ては煩雑だったけど。特徴は標準と広角の二種類のレンズがついていて、フィルムがはいっていない時だけという条件付きでレンズ交換が出来るというのと、光線引き用の穴がついているということ。スライドスイッチ一つでこの光線引きを意図的に作れるという仕掛けがこのカメラの売りだ。でもせっかくのユニークな仕掛けなのに、仕組みは一箇所にピンホールが開いているだけという単純なものなので、光線漏れの形がランダムにならずに単調すぎてあまり使い物にはならない。ランダムな光線漏れを引き起こすには一瞬だけ大胆に裏蓋を開けるとかしたほうがいいかもしれないけど、加減が難しいだろうなぁ。
これを撮り終わった後、去年フィルムを入れたままになっていた、35mmレンズつけっ放しのFM3Aで撮影を再開している。さらに最近コンパクトカメラのオリンパスXA2にも、こっちは久しぶりにモノクロフィルムを詰めて、二刀流の形にした。XA2は35mmレンズなのでFM3Aのほうはつけっ放しだった35mmを28mmにでも交換してみようか。ちなみにXA2につめたモノクロは使用期限が2015年のものだった。冷蔵庫に入れっぱなしで、そんなに長い間使っていなかったんだと自分でも吃驚だった。ということは自家現像も最低でも5年くらいはやっていないということになって、おそらく薬液は全滅だろう。でもコンスタントにフィルムを消費できる体調かどうかなんてことを考えると、安いものとはいえ薬液をまた全部そろえるよりはここは大人しく現像に出したほうがいいかもしれない。フィルムの現像は手作り感があって面白いんだけどね。

Live It Up

ザ・トルネイドースの白髪のベーシスト、ハインツ・バートが歌う曲。これはソロになってからのものだと思う。ハインツ・バートはザ・トルネイドースのテルスターのPVの、一番前に陣取ってなんだか不敵な笑みを浮かべて演奏しているのが、白髪とともに妙に印象に残ったミュージシャンだった。
これはLive It Upという音楽映画の1シーンで、登場人物の顔ぶれが面白い。ハインツ・バートの後ろでギタリストを演じているのが、この数年後にミケランジェロ・アントニオーニ監督のスタイリッシュな映画「欲望」でブレイクすることになるデヴィッド・ヘミングスだ。ドラマー役が後のスモール・フェイセスのスティーヴ・マリオット。ベース役のジョン・パイクは60年代のほかの映画に多少姿を見る程度で、その後どうなったのかは情報がほとんど取れずによく分からないんだけど、他の三人に関しては既にもうこの世の人じゃない。ハインツ・バートは70年代には既に音楽の分野から引退していたりして、映像の若々しさがその後に積み重なった時間の層を実感させる。この映画に登場するほかのバンドでは、見ているとMPでも吸い取られそうな妙な腰振りダンスをしながらギターを弾いているリッチー・ブラックモアなんかも見られる。ミッチ・ミッチェルも子役で出ていて、有名になってからしか知らないものだから、最初はみんなこういうことをやっていたんだと色々と興味深い。
ハインツ・バートは白髪と流し目ぽい視線とか目つきが印象に残っているミュージシャンなんだけど、この映画のシーンでの視線の彷徨い具合はとりわけ目立って特徴的だ。あちこち落ち着きなく視線を移ろわせているんだけどなぜかカメラのほうには絶対に向けない。落ち着きのなさの中に垣間見えるこの頑なさが何かちょっと異様だ。
The Outlaws (featuring Ritchie Blackmore) - Law And Order

腰を振る、まるでイメージの違うリッチー・ブラックモア。

Live It Up ! 1963

映画全体はこういうのだけど、字幕がついていないので演奏シーン以外はさっぱりだ。

The Tornados - Telstar





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コメント

No title

ハンドメイドカメラ・・・広角のレンズまで付くの?
初めて知りました。

これで撮った写真も、楽しみですね。


和さんへ

こんばんは!
豆粒みたいに小さなレンズだけど、二つついてました。でもフィルムを入れてしまうとそのフィルムを撮り終えるまでは交換できません。ものすごく不自由な仕様。今は違うカメラにフィルム入れてるからラストカメラはしばらく使う予定はないんだけど、次に使うときは広角のほうを装着してみますね。
写りはなかなか面白いです。普通に撮りたくなると触る気にもならないカメラだけど、たまに破格の面白さに飢えてくるようになるとこういうのに手を出したくなります。
高いカメラなんて使わなくても写真を楽しむことはできます。だからおもちゃみたいなカメラは大好きです。デジカメでもトイカメラモードみたいなのがあるけっど、トイカメラはフィルムの独壇場だと思ってます。
また変な写真が撮れたらここに載せるので、楽しみにしていてくださいね。

No title

すんごいよー
斬新な写真ね
死…
死んだらどうなるか 無 と思う反面
違う世界があると思う

最後の写真で思ったわ

生と死は背中合わせなんだな~って

今回も写真が生きている♪

みゆきんさんへ

こんにちは!
風変わりな写真が撮れるととても楽しいですよ。美しい写真と同じように驚く写真とかもあっていいかも。
死生観は、まぁこういう風に書いてみたもののわたしの中でも複雑な様相を帯びていて、誰もが最終的に行きつくところでありながら誰も見てきた人がいないからこうだということができないゆえに、生きているものの最大の関心事であり続けるんだろうと思います。
すべてが消滅すると見做している反面、わたしは自分が機械的な存在ではなくて霊的な存在であることを前もって十全に知っているわけで、この辺りの折り合いのつかなさは永遠の謎といったところです。何か想像もpつかない世界が新たに立ち現れてくるのかな。
最後の写真はそういわれると狭間の写真なんですよね。境界の写真。団地の写真が死生観を背負う写真にもなりえるという風に、見方によっていろんな見え方をするっていうのはなかなか面白いです。そういう余剰の部分を多く含んでいるのが写真を面白くしていくんだろうなぁって思いました。

No title

母が、ルーシェが死んだとき
やっぱり同じような感じだったかな?

母の時は、父の世話の為に引っ越しする事にして
ルーシェの時はミルクボランティアを始めた。

自分の心も死んでしまったら
生き返る為に何かアクション起こすといいかもです。
時間が余るとロクなこと考えないから。
私は毎日「命の電話」に電話してたよ

ROUGEさんへ

こんにちは!
時間が余ると確かに今はロクなことを考えない方向へ行きそうな気配はありますね。考えても仕方のないことばかりが頭の中を巡っていたりして、時間と精神の無駄使いも甚だしいです。
でも記事でも書いたように解放されたという気分も大きくて、完璧に死者にとらわれているというわけでもなく、割と自分のことは冷めた目で見られる部分もあったりします。病気のほうが絶対に再燃すると思っていたけど、ほとんどひどくもならずに今のところ経過中で、思ってるほどストレスに感じていないのかなと、写真を見てもわかるかもしれないけどあまりエモーショナルな質の人間でもなくて、我ながらちょっと薄情かもと思ったりもして。
体調を見ながら写真撮ったり、姉としょうもない話で盛り上がったり、ネットで映画を漁ったりと、こんなことで時間を費やしてます。事後処理のほうも進めていかなければならす、残されたものにやることがいっぱいあるという、こういうのはむしろ気を紛らわせるために社会的に用意してあるものっていう感じですね。
あと、本も読んでます。そのうち読んだ本のことでも書いてみよう。

No title

こんにちわ

お久しぶりです。

自分もときどきフと 死んだらもう自分がこれまで見てきたことすべての記憶 脳に刻まれた映像 心象風景といったものが消えてなくなる
それは実際に 体験しようにも そうなったときはもう存在しないわけだから感覚として体感することもできない
う~ん・・
もう年齢的にも それは遠くないことだし なんて考えることけっこうあります。

リッチーが若き日に、テケテケサウンドで腰を振りながらギターを弾いている映像 初めて観ましたがこれは興味深かったです。
テルスターは学生の頃、スウェーデンのバンド "スプートニクス"の演奏で知りましたが、オリジナルは、"トルネイドーズ" だったんですね。
この曲 好きでよく聴いたものです。
 

ももPAPAさんへ

こんばんは!
お久しぶりです。
答えの出ない疑問だから考えるだけ無駄ともいえるんだけど、誰もが最後にそこへ行きつくわけだから、無関心でいるにはあまりにも大きな問題であると。そんな感じで悩ませるテーマではあります。
やっぱり感じるはずの自分がまず消滅してしまうということにまるで想像力が追い付かないというか、これが一番の恐怖になってるんでしょうね。
でもある程度と歳くってくると、生きていることを見切ってくるというか、永遠に生きるというのもたとえできたとしてもこの日常が永遠に続くのもごめんこうむりたいという感覚も出てきて、わりと静観できるようになるんじゃないかなと思うところもあります。こんなことを考えるのは人間だけのはずで、知性は呪いに違いないと思うのはマイナス思考すぎるかな。
リッチー・ブラックモアにとっては黒歴史なんじゃないかなぁ、これ。封印しておきたいんじゃないかと思います。でもみんな最初はこんな風に出てきて自分のスタイルを作っていったんですよね。
テルスターは結構いろいろな人が演奏してますね。わたしはトルネイドーズだったんだけど、ちょっと漁ってみたらベンチャーズも演奏していたりして吃驚しました。こういう曲、今だとちょっとジャンル分けしにくいというか、今の時代にこういう方向で音楽を作ってみるのもある種得体の知れなさが出てきて面白いかも。
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