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知覚の地図 XXⅣ 湿った柔らかいものが河の中を両手で目隠ししながら通り過ぎると思え。

白茶けた世界

ほとんど眩暈とともに始まったような今年の夏、さらに追い打ちをかけるように歯まで痛くなってきた。今月の初めころに一応歯医者の予約は取ったんだけど、予約日直前で眩暈の嫌な気配を感じだして、一度予約を一週間先に延ばしてもらった。かなり眩暈は治まっているとはいえ、頭を後ろに倒す歯医者の椅子は眩暈誘発度最大クラスで恐怖の対象以外の何物でもない。眩暈中の恐怖の椅子はもう一つあって、それは何かというと美容院の洗髪台の椅子。もうそろそろカットしてパーマかけないとどうにもならなくなってきたと思い始めた頃合いを見定めるように眩暈が始まったせいで、その状態から今に至るまでさらに放置状態になっている。歯医者同様に本当に必要に迫られてるのに、こっちもまだ恐怖感が先立って、行くに行けない。
眩暈と歯痛と酷暑に打ちひしがれた取れかけソバージュのボサボサ頭と驚異の長雨、おまけに歯科で渡された抗生剤の影響だと思うけど潰瘍性大腸炎も再燃気味で下血混じりの、これが今年の夏の総括ってことになりそうだ。何一つ高揚することもなく、冴えないこと夥しい。ソバージュというと、緩めなんだけど細い髪質でかけると結構絡まって毛玉になるなぁ。これ、どうにかならないものか。

並木

眩暈と歯痛の間をぬっての読書はあまり進まず。アンドレ・ブルトンのシュルレアリスム宣言の周囲をうろついたり、小泉八雲の角川ソフィア文庫版の「新編 日本の怪談」を開いてみたりしている。
ブルトンのほうは改めて思うに自分の写真への態度の多くがこの磁場にあったということ。それは幻想的なイメージを作り上げると云うことではなくて、制度からの感覚や人間の解放といったポイントにおいてそうあり続けたいと思っていたことの根本がやっぱりここにあるということを確認できたということだった。写真というのはもともと制度から最も遠くに離れたところで立ち上がれる可能性を持っていた。だからこそ逆に人一倍制度的な負い目でもあるのか、この分野ではやたらと「師匠」なんていう言葉を見ることがある。デラシネ的なものこそが写真の本来的な強みだったはずなのにね。何の修行もしないものもシャッターを押すだけで写真が撮れる、こういうのって凄いパンキッシュなものなんだと思うし、写真の面白さだと思うのに、そういうパンクな突出点を捨てて絵画や言語が持つ制度的なものを恋焦がれるように取り込み安定しようとする。いわゆる良い写真は塗り重ねられた「既知」であって、そんなものは目指す対象にもなりえない。制度そのものである言語を相手取ってシュルレアリスムへ至ったブルトンのほうがいまだにうんと先へ行っている。
ハーンのほうは、有名な「怪談」収録のものも含めて、ハーンが収集した日本の古い奇譚、怪異譚をテーマ別に編集し直したもの。「怪談」収録のものもテーマに沿ってばらばらにされ、なおかつもとにあったすべてが収録されているというわけでもない。それにしてもこういうものをよくぞ収集して残しておいてくれたものだと思う。物語としてまとめ上げる手腕に乏しければそんなに興味を引くものにならなかった可能性もあって、そういう点でも人物に恵まれていたんだろう。
テーマでの分類と云うのはある種のわかりやすさをもたらしはするけど、分割された「怪談」には「怪談」という一冊の本で纏まり小さな宇宙を作っていた、数ある話の中でその話だけが選ばれてそこにあるというような、その存在感は既になくて、ただ「耳なし芳一」や「むじな」や「雪女」が漫然と並んでいるだけのものとなっていた。これがこの本のマイナスポイントの一つ。
翻訳は「ですます」調のちょっと珍しいもので、これは語り物と云った雰囲気がそれなりに出ていて、こっちはプラスポイントのほうだと思う。
なかには「小豆磨ぎ橋」のような極めて陰惨な話も混じってはいるけれど、読み手側のわたしが純粋に怖がれるほどすでにナイーブでもないし、妖怪譚の類なんかはどちらかと云うと恐怖よりもユーモラスと云うか、できるならそういうのにわたしも一度であってみたいと思うほうが多かった。妖精譚ではあまり類例を知らなかった「ちんちん小袴」辺りが、転生譚では一瞬と永遠が交差する目のくらむような思いへと誘い、最後に箱庭趣味と云うとびっきり意外なヴィジョンを用意していた「安芸之介の夢」が印象に残る。そしてやっぱり「茶わんの中」がお気に入りで面白いんだけど、これは以前に読んだ翻訳のほうがこの話の面白さのコアをよく理解していたように思う。
角川と云うとわたしには昔からその時代に流行っているものばかり取り上げる、後世に残そうという気があまりないイメージのほうが強かったんだけど、角川ソフィア文庫というのは、古典にしろその時に最良の形で残しておこうという気概のようなものが垣間見れることがあって、最近は本屋の棚でも欠かさずに見渡しているコーナーとなっている。
ちなみに「シュルレアリスム宣言」のほうは岩波文庫版が最強で、この稀有な思想と実践の全貌を見渡すには、膨大な脚注、解説も含めて現時点ではこれ以上に緻密なものは他にはないと思う。こんな売れなさそうな本に、しかも文庫と云う形で、よくもまぁここまでの情熱、労力を注ぎ込めたものだと思う。エネルギーが凝縮して今にも眩しい光を放ちそうだ。





もう一つの裏側






異様な雨に祟られてちっとも夏らしくないまま過ぎようとしている、そしてまるで冴えなかったわたしの今年の夏へ。




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