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【洋画】 アリゾナ・ドリーム

主役のジョニー・デップが若いです。それと鬚無しヴィンセント・ギャロ。
この映画は実はフランス映画で、フランスでは劇場公開されたけど、アメリカではDVD発売のみで劇場公開されなかったそうです。

☆ ☆ ☆

ニューヨークの漁業局で魚の数を数える仕事をしてるアクセル(ジョニー・デップ)のもとに、友人ポール(ヴィンセント・ギャロ)が現われ、アリゾナでキャディラックのディーラーをしてる叔父レオ(ジェリー・ルイス)の結婚式の介添人を依頼してきた。
アクセルは嫌がってたが、酒を飲まされ気がつけばアリゾナに向かうポールの車の中にいる自分を発見する。
アリゾナでは叔父からディーラーの跡継ぎを頼まれて、アクセルは叔父の下で働き始めることになった。
アクセルがセールスを始めた店に、ある日、未亡人のエレイン(フェイ・ダナウェイ)と義娘のグレース(リリ・テイラー)がやってくる。
エレインは空を飛ぶことに執着するし、グレースは自殺癖があり亀になりたいという願望がある、妙な家族だった。
エキセントリックなエレインに一目ぼれをしたアクセルはエレイン宅に泊り込んで、そこでエレインの夢をかなえようと飛行機作りに没頭し始めるが、次第にグレースのほうにも心が揺らぎ始める。

☆ ☆ ☆

はっきりいってよく分からない映画です。幻想的で混沌としてる。
とはいってもストーリーは実のところ物凄くシンプルで、アクセルとエレインとグレースの三角関係と、ほとんど一言で云い切ってしまえます。
ただこの映画は、そのシンプルなストーリーを、関係してるのかしてないのかほとんど区別できないようなディテールでちょっとした隙間までも埋め尽くすように飾り立ててる。
これが曲者なんですよね。
目晦ましが一杯あって、映画そのものを見失ってしまうと云うか。見失わずに捕まえたと思ってもそれが本当の姿なのか確認が難しい。

☆ ☆ ☆

奇妙な夢にとりつかれた人物ばかりが登場します。アクセルは魚が喋らないのは全てを知ってるからだと考え、自分も魚になることを夢見てます。エレインは空を飛ぶことにとりつかれ、さしずめ鳥になることを夢見る女でしょうか。グレースの亀になりたいっていうのはほとんど意図不明でした。
ポールは映画俳優になって35歳で死ぬことが夢のようで、レオはキャデラックを積み上げて月に届きたいという夢を持ってます。

どこかねじが外れたような登場人物がそれぞれ関わりあうことで、何らかの形で夢を成就させたり、潰したりしていく様子をにぎやかにフィルムに収めていった映画とでも云えるのかな。アクセルの母の言葉だったか、アクセル自身が朗読するなかに、「夢はかなってしまうと、夢ではなくなる」という言葉が出てきます。ある意味全員の夢は稚拙なもので、かなうにしろ潰れるにしろ、次のステップにいくには夢でなくしてしまう必要があったということなんでしょうか。

☆ ☆ ☆

ポールとルイの夢は映画の中では傍流というか、中心からは若干外れたような扱いでした。物語の中心となっていたのはアクセルとエレインとグレースの3人の話です。
その中で一番把握しがたいのがグレース。このキャラクターの行動は本当に理解しがたい。

亀になるのが夢で、自殺願望があって、家にいるときは始終アコーデオンを抱えてる女って、いくら懇切丁寧に説明されたとしても、おそらくまともに理解できるとは思えません。

最後のグレースの行動は、エレインにコンプレックスを持っていて、普段からエレインのような女になるくらいなら自殺すると云っていたのに、目当てのアクセルから、「今まではエレインの虜だったが、エレインは雲のようなものだと気づいて、その向こうにグレースがいるのが見えた」と告白された時、結局アクセルは自分の中にエレインをみてるのだと知った結果だと思うものの、やはりよく分からないというのが本当のところでした。
それともアクセルとの思いが成就したので、思い残すことがなくなったから?でもこれはちょっと馬鹿げてる…。
フィルムに余計なものをくっつける割に、肝心な部分をそれほど明確に描写して無いような気配もあるので、あまり詰めても意味が無さそうっていう感じもします。

アクセルはグレースを救えなかったことで、もう魚と話が出来なくなったとエピローグで独白します。
アクセルの夢に出てくる魚オヒョウ(カレイの仲間です)、成長すると目が両側から片側に寄ってしまうその魚に仮託して云われるように、それは成長するにつれ、目が片側に移動していく途中だったアクセルの夢の終わりであって、アクセルはその目が成長したオヒョウのように片側によってしまって、両側にあったとき見ていた光景の半分を失ってしまったかわりに、稚拙な夢から醒めて、大人になったということなんでしょう。

☆ ☆ ☆

全体にコメディそのものを意図してるわけではないことは薄々分かるんだけど、演出は陽気で狂騒的。そういうなかで笑いに持っていこうとしてる部分は結構外してます。
アクセルがエレインとベッドを共にしようとする前、ニワトリの物まねでエレインに近づいていく時の、ジョニー・デップのニワトリ演技が、とても寒い。結構長い間やってたりするので、早く終わってと願いながら観る羽目になります。
グレースがストッキングを使って自殺を試みるシーンでも、ストッキングがゴムひもみたいに伸び縮みして、グレースも上がったり下がったりする動き、ああいうのって笑うところなのかそうでもないところなのか判断に苦しむような演出でした。
陽気にしていこうとする部分は、もう完全にわたしの感覚とは合ってませんでした。この映画のにぎやかな部分ははっきり云って泥臭いです。

☆ ☆ ☆

ポールの映画での位置づけは若干微妙というか、割と画面には出てきて、アクセルの三角関係にも影響していきそうな雰囲気もあったのに、ほとんど絡んでこないような妙な場所に立ち続けてました。
映画マニアのキャラクターらしく、映画の中で、町の映画館でかかってる「レイジング・ブル」のスクリーンの前に立って、映画の進行とそっくりに同じ台詞を喋っていくシーンがあります。
これは小細工無しに、本当に台詞をスクリーンに同調させて喋ったのかな。ほかにもモノマネ「北北西に進路をとれ」を披露するシーンがあるんですが、これも見事でした。

☆ ☆ ☆

冒頭のアラスカのシーンがいいです。これ、アクセルの見た夢なんですが、アリゾナ・ドリームと題してながらいきなりアラスカ、吹雪の中を走る犬橇を出して、意表をつくのもかっこいい。
映画全体に幻想的な雰囲気のある絵作りでそれは気に入ったんですが、アクセルの「アラスカの夢」の延長で、アリゾナの砂漠の上を魚が泳いでいくような光景は、若干ありきたりな印象がありました。幻想的なオブジェに頼ってしまうと、結局そのオブジェが幻想的なだけの画面になってしまいがちです。

アリゾナ・ドリームアリゾナ・ドリーム
(2007/04/01)
ジョニー・デップジェリー・ルイス

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In the Death Car - Iggy Pop/Goran Bregovic

映画の使用曲です。
でもこの曲は旋律が耳について離れなくなりそうなので、ちょっと嫌。冒頭のエスキモー・シーンの最初に流れてた曲の方が好き。
耳につきそうといえば、最後の方のエレインの誕生日のお祝いの席で、マリアッチが奏でる「べサメムーチョ」。これがまた果てしなく続いて、映画の中の人物も呆れてしまうような使い方をしてました。
この映画の音楽の使い方は結構面白いところがあります。

Johnny Depp - Arizona Dream

適当なトレーラーが見つからなかったので、映画の中のジョニー・デップのシーンを集めたものです。音楽はジャンゴ・ラインハルトの曲(を新たに演奏しなおしたもの)だと思うけど、こんなの本編で使ってたかな。本編で何かの家具の上にラインハルトの写真が飾ってあったディテールは記憶にはあるんだけど…。

原題 Arizona Dream
監督 エミール・クストリッツァ
公開 1992年


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