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2019年の最初

吊り灯篭





写生する人





曲がり角

2017 / 01
Olympus Pen E-P5

新年になってお正月気分も抜けつつある頃合で今年最初の更新。今年になってまだ大した写真どころか一度もシャッターを切っていないので、なんだかそれっぽそうなのを今までに撮った写真から拾い上げて載せてみる。撮ったのは2017年の春日大社の辺りだ。撮ったデジカメはオリンパスのE-P5だったんだけど、このカメラ、部屋の中でベッドの上に置いておいたのが転げ落ちただけで動かなくなってしまった。今はその前に使っていたE-P3をまた引っ張り出してきて、壊れたE-P5は修理には出していないんだけど、こんなにやわなカメラだとは思わなかった。デジカメはちょっと他の機種に気を引かれてしまってるから、動かなくなったE-P5に修理代を出すかどうか決められないままになっている。大晦日からお正月の三が日、昔のテレビドラマ「DOCTORS〜最強の名医〜」がGYAOで全作無料配信されていたのに浸かりきりになっていたら知らない間に過ぎていってしまった。見ているうちに昔見たことがある回もいくつかあったし、分かりやすい誇張された悪役の出てくるベタな作劇のドラマなんだけど、途中でやめるには何だか気分が後を引いてしまって、3シーズン分とスペシャル、結局全話見終えてしまう羽目になった。何年か前の放送だしもうとっくに終了したドラマだと思ってたらスペシャルの一つは去年の新春特別版として放映されている。個々のエピソードそのものはその回その回で収まりはついていくけれど、主人公が画策する病院の改革といった話全体の行く末はまるで完結していないし、これはまだ続いていくということなのかなぁ。医龍もそうだったけど、医者のドラマは予想もしない解決策を見出してとても無理だと思われた患者を救ったりと、見せ場が映える劇的なドラマが作りやすそうで見ていて面白い。四日から今年の整形外科の診察が始まったのでさっそくリハビリに行ってくる。宇治の街中はお正月ということでそれなりに観光客や出歩く人も多くなっていた。リハビリの帰りにJRで伏見稲荷まで出て初詣をしてくる。ここも人出が物凄い。三が日を一日外したくらいではまるで変化が無い。境内も参道も三が日の勢いそのままに屋台が並んでいて、お正月らしい雰囲気を維持していた。といってもわたしは人が一杯いるところは極めて苦手。賑わうのはいいにしても千本鳥居の中を通るのに満員電車のような様相になっていたりするのは辟易したし、それだけで気力を使い果たしてしまった。結局奥の院まで行ってお参りしたあと、正殿では買えないお守りをいくつか買っただけで戻ってきてしまった。おみくじも引かずに、これは去年の夏に引いたおみくじの「のち大吉」というのをもうちょっと待ちたかったからだ。行きはJRの駅を降りた正面にある鳥居から稲荷神社に入り、帰りはJRの方向じゃなく脇の参道を通って京阪の駅へ戻り、そこからそのまま三条京阪まで足を伸ばす。三条京阪の駅ビルにあるブックオフで特に欲しい本も見つからなかったんだけど何となく伊坂幸太郎「あるキング」と筒井康隆「出世の首」の文庫二冊を買う。出費は216円。最近持っていないのを目にしたら買っている川上弘美や西加奈子なんかは既に持っているものばかり。同じブックオフでも店で傾向があるのか最近は時間を置いて漁りにいっても似たようなものしか目にしない。この三条京阪の店では金井美恵子の本なんかまず出てこない。今日泊亜蘭の「光の塔」なんか傾向どころかどのブックオフでも棚にあるのを見たことが無い。ちょっと前に、ちくま文庫で出ていた赤瀬川源平の「東京ミキサー計画」を、これは100円コーナーじゃなかったけれど棚に並んでいるのを目にして、これ結構入手しにくかったんだよなぁと思うと、これを容易く手にする人がいることにちょっと腹が立ってきて、そういうラッキーな人間の手に入らないように、目の前に忽然と現れたこの本を、自分はもう持っているんだけど買ってしまおうかなんて思ったりしたことがあった。お金がもったいないから実際にはそんなことはしなかったけど、数日後に行ったら既に誰かに買われた後だったから、それを見た時は目ざとい人はやっぱりいるんだなと、自分が損したわけでも無いのにちょっと落胆した。写真集のめぼしいものは何もなし、ウクレレの教則本も欲しいと思っているものは見当たらなかった。あとは同じくブックオフの階違いの売り場でPS3のバイオハザードの5と6をこれは本当に衝動買い。第一ゲームなんてもうこの何年もやったことがないし。遊ぶつもりで買ったゲームは家に他にも結構あるんだけど全部放置状態だ。その後お腹が減ってきていたので同じビル内の地下一階だったか、お蕎麦屋さん「あしかり」でサービスランチの遅い昼食をとる。肉とじ丼がついた熱いお蕎麦を注文。グルメには程遠い完全に間に合わせの食事だった。こういう時期に嫌なのが食事をする場所がなかなか見つからないこと。並んでまでものを食べる気が一切ないから本当に困ってしまう。シグネット35をぶら下げていたので何か撮って回ろうかとも思ったものの、疲れ始めていたので写真を撮る気にもなれずに帰路につくことにして、近所のスーパーに寄ってから帰宅。家の戸を明けた瞬間に今日帰りにスーパーで、切れたトイレの電球を買ってくると決めていたことを思い出す。どうしてこういう瞬間に思い出すのか。どうしてスーパーを出た瞬間に思い出さないのか、どうして部屋に入って寛いだあとでまぁ明日でも良いかと思いなおせるような時間に思い出さないのか。結局また家の戸締りをしてスーパーに電球だけを買い足しに戻る。足腰相当疲れて痛くなっていたのにまたスーパーまでの無駄な一往復で、何のためにこの日整形にリハビリしに行ってきたのか分からなくなる。思い切りがいいほどに雲ひとつない晴天だった一日は夜遅くに雨に濡らされて終わった。






今年も無事に店じまい / UNISON SQUARE GARDEN 「シュガーソングとビターステップ」

長靴





覗き見る





閉鎖







closed
2018 / 02 (1)
2014 / 08 (2)
2018 / 02 (3)
2016 / 02 (4)
minolta Capios160A (1・3) / olympus pen ee2 (2) / fuji naturaclassica (4)

まるで絵解きのような写真を適当に並べて、これが今年最後の更新だ。何とかまぁ今年最後まで繋いで来れたということでとりあえずの一段落。今年見に来てくれた人、どうも有り難うございました。今年は夏に難病指定の病気を抱え込んでしまったり、つい最近整形外科の帰りに医院を出たところのほんの近くで転倒してしまい、負った傷はすぐに戻った整形で処置してもらったものの、10年来使っていたコクトーの線描風眼鏡は砕け散り、おまけに前歯を折ってしまうなんていうとんでもない災難にも見舞われたりしてそれなりに波乱万丈だった。それにしても大破した眼鏡は年末に予想外の痛い出費になりそうだ。悪いことに眼鏡研究社が店じまいしてからわたしは眼鏡難民と成り果てているんだよなぁ。眼鏡がないと満足に字も読めないから新しい眼鏡は早急に必要だとしても、さてどこで調達しようか?夏頃に思いついて伏見の稲荷大社で引いてみたおみくじは凶のち大吉なんていう結果で凶であるのは体調の悪さといい何となく現状を言い表しているなぁという感想だった。「のち大吉」というのに期待を抱きつつ日々を過ごし、やがてそれにしてもこのおみくじの「のち大吉」というのは一体何時やってくるんだろうと思い始める。数日前に歯を折ったところからするとまだ大吉には至ってないと思うんだけど、何時やってくるのか知らないうちに、お正月に次のおみくじをひいてリセットしてしまいそうだ。ちなみに折れた歯は歯医者によると根元は大丈夫だったようで継ぎ歯にするということらしい。とはいうものの継ぎ歯なんてすぐに出来るわけもなく、お正月は欠けた前歯のまま過ごすことに決定だ。それにしても歯に何事か異常事態が発生すると、その出来事の規模の割に精神的な動揺は大きい。いつも取り返しがつかない事態に見舞われたような暗澹たる気分に襲われる。もっとも歯が折れるというのは文字通り取り返しがつかない事態なんだけど、こと歯に関しては精神的な動揺、落ち込みはその事態の規模をはるかに上回ってやってくるような気がする。


UNISON SQUARE GARDEN 「シュガーソングとビターステップ」

この前の記事で名前を出したので、UNISON SQUARE GARDENの曲のほうも一曲。このバンドかっこいいなぁと最初に思った曲だ。ベースの消費熱量の桁が、一人だけ違っていそうなのか楽しい。これだと給料倍くらい貰わないと引き合わなさそうだ。この縦横無尽の疾走するベースは音的にもビジュアル的にもバンドの戦略としては大成功だったと思う。で、久しぶりに聴いてみると変速するタイム感とかやっぱり凄いスリリングでかっこいいんだけど、金太郎飴のイメージはどうしてもぬぐえないところがある。他の曲をいろいろと聴いてみればそれなりに変化に富んでいるのを知ることになるのかもしれない。でも、そこまで熱意を傾けるほどでもないし、表立って趣向の違うヒットでも飛ばしてくれない限り、どれもこれも似たりよったりという印象は変わらないだろうなぁ。








タール / アニメ「ボールルームへようこそ」 OST - 真剣勝負

赤い壁





螺子の樹





黒い日





ダブ





闇の駐車
2018 / 11
2018 / 03
Sony SyberShot DSC T9 (1-3) / Ricoh GR DIGTAL Ⅲ (4,5)



クールがイケてるものを指すなら、イケてないクールじゃないもの、ちっともかっこよくないものを言い表す言葉、それはタールだろうとふいに頭に思い浮かんだ。そしてそう思いついた瞬間、さらに発想は飛んでそれは「タールな目薬」なんていう言葉に形を変えた。タールな目薬、意外と魅惑的な響きだ。クールの対極の言葉としてわたしのなかで唐突に頭をもたげたタールだけど、これそんなにダサいものでもないんじゃないかと即座に思い直す。サングラスの代わりになる漆黒の目薬。照りつける日差しの中くっきりと影を落とす真っ黒な目をした通行人なんて、若干通俗的でとてもシュールじゃないか。今回の写真はQUIET SUNとユビュ親爺もどきが混じっているが、ここはオマージュと云い張っておこう。それと今回のはすべてがデジタルの写真だ。デジタルも一応いくつか持ってるから、雨の日や夜なんか撮るのに、これは本当に便利なのでたまに使うんだけど、やっぱり余り手応えがない。すんなりと行き過ぎて何か事をなしているという気分になれない。フィルムと比較するからそんな感想が出てくるんだろうと思う。フィルムは撮った直後に見られないというのが最大の利点だ。その期間があるから自分の撮った写真でもあるレベル対象化できたりする。まるでどこか他人事のような歪な影を見出しながら眺めることになる。今コダックのシグネット35に詰めて撮っているのはリバーサルフィルムで、撮り始めてからもう一月以上経っている。最初に何を撮ったかもあまり覚えてないし、期限切れのそれも露出にシビアなリバーサルを露出計なし、シグネット35の裏蓋についている露出ガイドを頼りにどこまでこのガイドが信用できるかある種確認をかねて撮っているから、下手したら半分以上まともに撮れていないかもしれない。こういう結果を予測するような余地が生むドキドキ感覚はフィルム特有のものだと思う。まぁデジタルもモニターを壊しておけばフィルムライクな感覚で撮れるようになるのかもしれないけれど、その直接性が安易な感覚へと流れていく感じはどうしても自分には拭い去れない。便利だから使うと書いた一方で、便利?何それ?そんなことに何か意味でもあるの?といった気分もある。だからデジタルは似たような結果を生み出すように見えてフィルムが作り出す写真とはまるで別物だと思っている、まぁ道具の一つとしてフィルムとは違う可能性があるなら、手応えがないといって使わないというのもこれはこれでもったいないのは確かなので、ここはその手ごたえの無さをこういうものだと楽しむくらいの気分で撮ればいいとは思うんだけどね。

アニメ「ボールルームへようこそ」 OST - 真剣勝負

社交ダンス、それも競技ダンスをテーマにしたマンガ「ボールルームへようこそ」のアニメ第10話、対赤城 賀寿戦のクライマックス、試合が展開する真っ只中で試行し活路を見出そうと苦闘していた主人公が、ラストダンスでふっきれていくシーンに使われていたクールな曲だ。これ、原作のマンガも手に汗握る展開と自分もその仲間になりたくなってくるような彩り豊かな人間関係と上手い絵、少女たちや特に子供の可愛らしさが際立つ絵柄に惹かれて一気読みした。残念なことに作者の健康状態の都合で連載は長期中断、最近再開はしたものの途切れ途切れの連載となって、今のところ未完のままで終わっている。アニメは既刊分よりも先まで進んでマンガのほうが途中になっていた展開の一応の区切りをつけているというちょっと珍しい作り方になっていた。題材となっている競技ダンスは、優雅さに加えて骨太のスポーツ物のような思いもしない力強い外見で新鮮な興味を引き続ける。アニメのタッチが今放映中の「風が強く吹いている」とよく似ていると思っていたら、プロダクション・アイジーという製作したアニメ会社が同じだった。こういうのって一見して分かるほどタッチが似てくることもあるんだ。もっともこの二つ、扱うテーマも競技ダンスと箱根駅伝と競技種は違えども、最初はアマチュア的な立場にいる人間がスポーツに挑むことで覚醒していくというテーマも似ているから近い印象になっているのかもしれない。そしてわたしは両方とも気に入っている。ボールルームで自分も小笠原ダンススタジオに入門したいと思ったように、風が強く吹いているのほうでも竹青荘の住人になりたいと思った。学生時代に自宅通いしていたのが本当にもったいなかったなぁと、何だかのめり込みが激しい。オープニングのテーマもUNISON SQUARE GARDENと共通していて、プロダクション・アイジーのアニメはこれがセットになっているんだろうか。ただしこの音楽については両者まるで金太郎飴で、数音聴いただけでこのバンドの音楽だと分かるほど個性的ではあるものの、引き出しが少なすぎる。このバンドはこんな音楽しかやれないんだろうなぁと思うことのほうが強い。しかも風が強く吹いているのオープニングテーマの歌詞に、風なんか吹いていないという一節が高らかと繰り返されていて、これはどうなのと、ひょっとしてけんか売ってるのか?










冬の旅 / Caetano Veloso - Mimar Voce

病院にて





カフェ





差し込む光






淀む光





冬の反射





見上げる空







放課後のグランド
2018 / 01-02 黄檗
Konica Bigmini F(1-6) / Fuji Cardia Travel mini DUAL-P (7)
Lomography Colornegative 100


冬の陽射し。差し込む光。まどろむ光。行き渡る光。淀む光。跳躍する光。回り込む光。冬の光。不死の光。





Caetano Veloso - Mimar Voce

久しぶりにラテン。まぁここは冬の日々と云うことで狂騒的なものじゃなくしっとりとしたバラード、そしてボッサでいってみよう。といっても一見穏やかに見えてボッサのギターって音の一つ一つは結構力強い。ジョアン・ジルベルトなんかの今にも貧血で倒れそうなボーカルをのせている曲でもギターのストローク一つ一つはよく聴いてみると太い芯が通っている。ボッサだってバラードだてやっぱり狂騒と熱狂の国の音楽だと云うことがよく分かる。

Caetano Veloso - Força Estranha




冬の旅 / Fernando Arrabal Viva La Muerte, Opening

孤独な鉢





カフェの窓から





窓際





野球

2018 / 02-03
Minolta Capios 160A (1,2) / Ricoh AutoHalf E (3) / Holga120GCFN (4)
Lomography Colornegative 400 (1,2,3) Fuji RVP 100F (4)


「それじゃ、またね!」くらいの意味合いの関西弁「ほなね」ちょっと文字に書いてみると、この「ほなね」という三連のひらがなは音の響きはもちろん見た目にも何だか味わいがあるのに気づく。「そうだろうか?(違うだろう)」といった意味合いの「そやろか」も文字にしてずっと眺め続けていると何だか日本以外のどこか遠くの、たおやかな国の文字や音だといっても通じそうな気がしてくる。ちなみに「そやろか」というのはどちらかと言うと京都で、大阪では「せやろか」のほうが多いように思う。それはともかくこの二つ、あわせて「ほなね・そやろか」なんて並べてみれば、異物感を伴いながらも耳に届くリズムも整って、どこか名前のように見えないこともなく、これを「薄荷グリーン改」にしてもいいなとか、あるいは新手の漫才コンビの名前にも使えそうだとも思ったり、はたまた名前として組み立てるなら我が出生の地、壬生御所ノ内町と混ぜ合わせて、「御所ノ内ほなね」なんて、これは怪しい演歌を歌って人を惑わす暗黒演歌歌手然としてるし、「御所ノ内そやろか」という風に並べてみると、御所ノ内!と自分で名乗った瞬間にそうだろうか?と自分で疑問を投げかける、なにやら哲学の人のような雰囲気となる。とまぁあれやこれやどうでもいいことが何だかとりとめもなく頭の中を巡っている。それにしても「御所ノ内そやろか」は世界中に疑問符を叩きつけ続ける徹底的懐疑者のようで、名前として結構気に入ってしまった。「薄荷グリーン改」にするならこれかな。どこかで「御所ノ内そやろか」なんていうHNで、改行せずに映画や音楽のことを書いたり、写真を見せびらかしてる人がいれば、ひょっとしてそれはわたしかも。今回の写真は去年の冬に撮っていたもの。病院へ行く道すがら撮り続けていた写真だ。ほぼ一年前からの写真はそんなのばかりが目の前に積みあがってくる。気分はどうにもこうにも散文的でちっとも情緒的になれなかった時期の、そしてそれは今も振幅幅を大きくしながら続いてはいるんだけど、そういう難儀な精神状態で撮った写真なので、そんなに含みの多い写真にはなってないように見えていたのが、一年前の記事同様に「冬の旅」なんていうタイトルで纏めてみると再びそれなりに情緒的な部分もある写真に見えてくるのが面白い。大体「旅」という単語一つだけでもロマンチックな情緒を呼び込むのだろう。とはいうものの以前にも書いたようにタイトルは内容を纏めるようなつけ方よりも、一緒になって内容空間を攪拌し混沌化して広げていくようなもののほうが自分の嗜好にはあっているような気がする。ボリス・ヴィアンが「北京」とも「秋」ともまるで関係ない小説に「北京の秋」とタイトルをつけたように、ボリス・ヴィアンは昔、わたしのアイドルだった。意味するものと意味されるものの乖離なんていうと、ただの素っ気ない写真もまた構造主義的写真なんていう妙なものに変貌してくれるかもしれない。そういえばロラン・バルトも写真に関する本を出している。構造主義や現象学と写真は相性がいいのだろうか。


Viva La Muerte, Fernando Arrabal


ポドロフスキーや寺山修司に影響を与えたフェルナンド・アラバールの映画「死よ、万歳」のオープニング・シーン。催眠的というか、特に奇抜な手法や音を使っているわけでもない、素朴な子供の歌のような外見のもとで、聴覚体験はシュールレアリスティックと云う他ないものになってる。バックのイラストはローラン・トポールだ。最後のシュルレアリストたちの競演というところかな。



写ルンです偽装

最近撮りに歩き回れないものだからフィルムの消費も滞って、カメラ関連のものに散財していない。そんな状況の中でカメラ関連というほど大層なものでもないけれど久しぶりにこんなものを買ってみた。写ルンですを立派なコンパクトカメラに偽装するケースだ。これはクラッセWもどきのデザインとなっている。シルバーとブラックの二種類が出ていて、両方とも上半分を開いてなかに写ルンですを収納するだけで、遠目にはフジの高級コンパクトフィルムカメラ、クラッセWに早代わりする。まぁ全体に漂うおもちゃっぽさは否めないけれど細工は結構上手くできていて、さらにこれを使うとハンドストラップしかつけられなかった写ルンですが、ネックストラップで両吊りできるようになるのもありがたい。シルバーのほうはフジフィルムのロゴ入りストラップもついていて、わたしが買ったのはこのシルバーのほうだ。カメラとしてはシルバーのほうが個人的にはクラシカルな雰囲気に見える。でもフジの商売に乗せられて、そのうち気がつけば手元に黒も揃っていたなんていうことにもなってそうではある。黒にはストラップを同梱していないというのが、シルバーを買ったものには次にもう一つ、安い価格でケースだけと云う具合に黒いほうも買いやすいし、黒を買ったものには黒にはついていなかったストラップが物欲のターゲットになると、何だかせこい印象だけど細々とした商売の仕込がフジは上手そうだ。





昔早川から出た全集を最後に今に至るまで一切再刊されてないのかな。「うたかたの日々」は文庫にまでなっているのに。


写真を撮るにはほとんど役に立たない。